海外社長インタビュー INTERVIEW WITH PRESIDENT
SUSHI BISTRO旬 オーナー 村上弁慶さん
日本のホテルで板前を6年経験し、1973年に渡米。ハワイで5年半板前として働いた後、英語とお寿司を勉強する為、LAに行く事を決意。8年後に再びハワイへ戻り、寿司職人として14年間働いた後に自分のお店をオープン。従業員数10名、客層は90%がローカルの『SUSHI BISTRO 旬』はただいま絶好調。
弁慶さんがアメリカに来られたきっかけを教えて下さい。
日本で板前をしている時に、「ハワイで仕事があるが、行きたい人はいるか?」と会社から言われ、二年間の契約だったので、軽い気持ちでハワイに来ました。
その一年後くらいに、ハワイ州の法律が『グリーンカードが無いと働いてはいけない』という風に変わり、そこでグリーンカードを取得しました。二年契約が終る時、更に3年契約をし、結局5年程そこで板前として働きました。
その契約が終る頃、「自分はアメリカで生きていこう。」と決意し、寿司職人の勉強と英語の勉強の為、LAへ行きました。8年間いました。
LAにいらっしゃる間、英語はどのように勉強したのですか。
仕事を通じて実践で覚えましたね。最初はとにかく魚の名前と、お客さんへの料理の薦め方を英語で覚えました。少し慣れたら辞書を片手にお客さんと会話していって、そのうちに段々覚えていきました。
8年後、なぜハワイに戻ろうと思ったのですか。
やっぱりハワイは気候が最高ですからね。ハワイに戻ってからは13年間、ホテルで寿司職人として働いて、その後、今のお店をオープンしました。
日本、ハワイ、LAで板前さんをされて、それぞれ違う点はどこですか。
ハワイとLAはそんなに違いはないと思います。客層も似ていますし。
日本とアメリカを比べると、当たり前ですが、言語の違いがあります。カウンターに立ってお客さんと会話して、料理の説明、お薦め料理などを話すわけだから、説明できるだけの英語力が必要です。あとは、アメリカ人にはよく「あなたのお薦めをください。」とオーダーされる事があります。それからアメリカ人に出す方が料理が気楽ですね。時間かかっても怒らないし、味もうるさい事を言わないですから 笑
毎日ローカルのお客さんで賑わってるBISTRO旬ですが、お店のモットーは何ですか。
従業員にもお客さんにも喜んでもらえるお店にする事です。一度来てくれたお客さんがリピーターになって何度も来てくれる、そういうお店にしたくて始めました。 8年目の今はだいぶ実現してきました。でも、2000年にオープンしてから、最初の5年は大変だでした。まず、オープンの翌年に9.11事件があり、観光客が激減してしまいました。 はじめて5年間は貧乏だったけど、それでもギブアップしなかったのが成功の秘訣だと思っています。
プライベートな時間は何をされていますか。
趣味はゴルフだけど、あまり行けていません。お休みの日も仕入れや仕込で、結局一日中仕事をしています。
最後にこれからアメリカで働く人にアドバイスをお願いします。
英語が話せなくても、恥ずかしがらずに自分を出そう!話をすれば答えがでるから言いたい事は伝える事が大事。黙っているだけでは決してダメですよ。
弁慶さん、お忙しい中本当にありがとうございました!
1914 South King St. Honolulu HI
(808)941-1333
営業時間
5:30pm to 12:00am(火〜土)
5:30pm to 10:00pm(日・祝)
月曜定休