代表 南雲 大輔インタビュー

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必読!海外体験は人生のターニングポイント

代表取締役社長の南雲大輔さんは、なぜ、若干30歳でアメリカでの就業活動・ビザサポートを行う会社ACOを立ち上げたのか。そこには、海外に行ったことで人生が大きく展開した、彼自身のブレイクスルー体験と、それを通して生まれた強い思いがありました。

インタビュー:かきの木のりみ

違和感だらけの高校生活。単身オーストラリアへ

違和感だらけの高校生活。単身オーストラリアへ

かきの木
南雲さんは現在、アメリカ就業に関するプロフェッショナルですが、ご自身が初めて海外を体験されたのはいつでしょうか?
南雲
16歳のときです。僕はあまりよろしい生徒ではなくて、高1の終わり頃から学校に行かなくなりました。
学校ではガチガチに生活が決められていて、授業もつまらない。頑張ろうと思って入ったサッカー部もサッカーの練習とは関係ないような声出しの練習とか正座とか理解できず、もう違和感だらけでした。何か大きな出来事があったわけではなく、特別厳しい学校だったわけでもないと思うのですが、受け入れられる人と、受け入れられない人がいると思うんですよね。自分は受け入れられなかったんです。そしてだんだん学校に行かなくなったんです。
かきの木
子どもが急に学校に行かなくなってしまったのですから、ご両親はさぞや驚いたのでは?
南雲
親の前では高校に行っているふりをしていました(笑)。でも高2のある日、もうやめようと思い退学届を学校に出したら、学校の先生が家に訪ねてきてバレてしまったのです。
もちろんすごく怒られました。そのとき初めて、自分の思いを正直に話したのです。
話をしたらわかってくれて、「じゃあもっと広い世界を見てこい」と。それでなかば強制的にオーストラリアへ行かされたのです。
かきの木
自分の思いをちゃんと伝えた南雲さんも、それを理解したご両親も、とても素敵ですね。オーストラリアに行ってからは、何をしていたのですか?
南雲
着いて2カ月くらいしてから分かったのですが(笑)、そこは英語を学ぶ語学学校でした。
というのも、僕は初めての海外で、英語もまったくわからなかったので、しばらくの間は何が何だか全然わかりませんでした。
親が、「空港についたらお前の名前を書いたボードを持った人がいるから、ついて行け。そしてこの手紙を渡せ」とか、「その先の到着したところで渡す手紙はこれ」など、何から何までセッティングしてくれていて、それに沿って生活していた感じです。ホームステイ先も父が手配してくれていました。
今思うと、両親は下準備がすごく大変だったろうと思います。
かきの木
16歳で英語が話せない息子を海外へ出すご両親の決意と、何通もの手紙を用意された準備は本当に大変だったでしょうね。自分の意思で行ったのではないオーストラリアでの学校生活はいかがでしたか?
南雲
学校もクラスも、とにかくすごく自由でした。授業も日本のように机に座って書くだけではなく、手をあげると同時に勝手に話し出してしまうような。皆が自由に自分の意見を言える感じがしました。
英語は下手でしたが、どこにでも積極的に行っていましたね。日本だったらちょっとシャイになってしまうのでしょうが、この単語とこの単語が話せれば大丈夫というような気分にさせてくれました。
本来の自分に戻ってのびのびできた、すごくいい時間でした。

オーストラリアでの出会いが、ターニングポイントに

オーストラリアでの出会いが、ターニングポイントに

かきの木
オーストラリアでの生活はとても充実していたとのことですが、その中でも一番印象に残っていることは何でしょう?
南雲
やはり人との出会いです。
今でも付き合いがある人なのですが、自分より10歳上、当時26・7歳で、電機メーカーをやめてオーストラリアに来ていた男性がいました。その方との出会いは大きかったです。
当時は、日本で仕事をやめて海外に行くというのは、まだ異端児的な目で見られていたと思うのですが、そういうことを10歳上の人が平気でやっている姿に衝撃を受けました。
そして、そういう自分の見方は、すべて日本という固定概念のフィルターを通したものなのだと。本来人間というのは自由なのだと、その人を見てとても感じました。
それ以降、僕は学歴やキャリアといったものに全くこだわらなくなりました。自分がどうでありたいかが一番重要だということを、教えてくれた人です。
かきの木
16歳でそういう経験をされたことが、南雲さんの中でとても大きかったのですね。
南雲
16.7歳の頃というのは、普通なら自分と同世代の人としか付き合うことがありません。でも、16.7歳で海外に行っている日本人はほとんどいなかったので、オーストラリアで知り合う日本人はだいたい10歳くらい年上。そして皆、たいてい仕事をやめて自分でお金を貯め、本当にさまざまな思いを抱えて来ていました。
そういう人達と話をして、自分がいかに小さかったか、そして何も知らないまま自分の中に閉じこもっていただけだったということを感じました。
16歳の時にオーストラリアに行った意味は、英語を学んだことではなく、そういう経験ができたこと。人生で最初で最大のターニングポイントがこのときです。

20歳で再びオーストラリアのビジネススクールに入学

20歳で再びオーストラリアのビジネススクールに入学

かきの木
オーストラリアから日本に戻ったのはいつですか?
南雲
最初から半年で帰ることになっていました。といっても、僕はそれを帰国のときまで知らず、「そろそろ帰国だぞ」と連絡がきて驚いたのですが(笑)。
僕自身も、1回は日本に戻って、親に面と向かって「いい経験させてくれてありがとう」と言いたいと思っていました。その思いがすごく強かったのを覚えています。
それで帰国して、高校くらいは出ようと思い、定時制高校へ入学しました。
かきの木
自分でやめた高校生活をもう一度始めようと思ったというのは、大きな変化ですね。
南雲
自分が高校をやめるとき、母親が泣いていたのが目に焼き付いていたので、高校は出ようという決意はしていました。
オーストラリアにいた半年間、16歳の自分がどうして生活ができていたかというと、銀行口座にお金が振り込まれていたからです。そのお金はすべて親が送金してくれたもの。何もかも親がやってくれていたのです。自分がいかに愛されていたか、面倒を見てもらっていたかを感じました。
ですから、定時制に行ったのは母のためというのが大きかったです。
かきの木
半年間というそんなに長くはない時間で、ご両親のしてくれたことや愛情に気づいて、お母様のためとはいえ高校は出ようと前向きになるというのは本当に大きな変化ですね。定時制高校での生活はいかがでしたか? 自由だったオーストラリアの学校の後で、また日本の学校に行くのは大変だったのでは?
南雲
いえ、今度の高校生活はすごく楽しかったです(笑)。
親子で一緒に通っている人がいたり、年上や年下の同級生ができたり。いろいろな年代のさまざまな人が来ていて、それがとてもおもしろかったですね。
部活もやりました。僕はサッカー部に入ったのですが、部員は僕ともう一人だけなので部長と副部長(笑)。野球部も人数が少なかったので、お互い試合のある時は助っ人として参加し合ったり。みんな距離が近くてフランクで、本当に楽しかったです。みんな昼間は働いて夜学びにくる。私も昼間は工場で働いて、その後学校に行く生活でした。
かきの木
以前の高校生活とはまったく違いますね。オーストラリアに行ったことで、南雲さんの中の何かが切り替わったのが伝わってきます。
卒業した後にもう一度オーストラリアへ行ったそうですが、それはなぜですか?
南雲
高校を卒業する時は大学に行こうかとも思ったのですが、まだ進路が決まってなくて、あせらず働きながら考えようとまず思いました。なので高校生の時に昼間働いていた工場でフルタイムで働かせてもらったんです。
その働いている1年で、16歳の時は親に導かれるままわけもわからずオーストラリアに行き、あっという間に過ごしてしまった。今度は自分で貯めたお金で、自分の力で生活してこようという思いに至ったんです。そして20歳の時に再びオーストラリアへ。1年間滞在できるワーキングホリデーというビザを取って行きました。
まず最初に、英語がまったくできなかった16歳のときはから、自分の語学力がどのくらい伸びたのか試してみたくて、16歳の時に行ったのと同じ語学学校に入る試験を受けました。
かきの木
おもしろいトライですね。試験の結果はいかがでしたか?
南雲
その語学学校では、試験の結果に合わせてレベル別のクラスに振り分けられるのですが、16歳のときは、英語がまったくできなかったのでレベル1のクラスでした。学校でも1番出来ないくらいで、先生も心配だったのかつきっきりで指導されるほど。でも、20歳のときにはレベル4のクラスに入れとてもうれしかったです!
オーストラリアから日本に帰って以降、英語をできるだけ忘れないようにと勉強を続けてきましたから。頑張ってきてよかったと思いました。
かきの木
20歳でのオーストラリア生活はいかがでしたか?
南雲
やはりものすごく楽しかったです(笑)。サッカーをしたり、旅をしたり、いろんな人に会ったり、勉強したり。大学生活のような感じで充実していました。
かきの木
16歳の時はホームステイをされていましたが、20歳の時はどうしたのですか?
南雲
最初はホームステイでしたが、あとはシェアアパートで、いろいろな国の人たちと共同生活をしました。そこで生活を送りながらまた将来のことを考え始めたとき、もっといろいろなことを勉強したいと思うようになりました。それで、大学に入ることを決断し国際ビジネスを専攻しました。
勉強はもう、とても大変で、人生で一番勉強しました。そのおかげで、オーストラリア人の学生が落ちるようなテストにもパスしました。それでも初年度単位を一つ落としてしまいましたったのですが、ここだけの話、先生に「納得がいかない」と詰め寄りましておまけでパスにしてもらったことがありました(笑)。欧米人はドライに思われますが、日本人以上に その人の熱意ややる気を感じてくれ、とても情が熱い人たちなんです。
かきの木
16歳でオーストラリアに行ったことがきっかけとなって、行き詰まっていた自分を1つ1つ乗り越え、新しい自分として成長されてきたのをとても感じます。
その後、オーストラリアの大学を卒業して帰国し、日本で就職したのですね?
南雲
はい。学校を卒業し、どうしようか考えたとき、今までと違うことやってみたいという気持ちが強くなってきたのです。ならば、とりあえず働いてみようと。
それで日本に戻りました。これまでの経験を通して僕は、自分が考えて起こした行動には必ず何らかの結果がついてくる、ということを知りました。行動するほどの熱意があれば、その熱意で何かができます。人との出会いなど、必ずいろいろなものがついてきます。まずは行動してみること、それが大切だ2回のオーストラリア経験で実感しました。

会社員時代、アメリカで人生2回目のブレイクスルーを体験

会社員時代、アメリカで人生2回目のブレイクスルーを体験

かきの木
日本に帰ってから就職したのは、どのような会社で、どんなお仕事をされたのですか?
南雲
留学から就職まで、日本から海外に出たいという方達をサポートする会社で働きました。内容的にはACOとほぼ同じで、そこから現在の仕事のキャリアがスタートしたという感じです。
かきの木
就職活動はどのように?
南雲
ネットの就職サイトで見つけ、応募しました。「英語」「海外」といったキーワードで検索しました。
海外経験を生かせる仕事に絞っていたわけではないのですが、自分の特技や経歴を考えると自然とそうなった感じです。
かきの木
勤めて3年目の頃に、アメリカのロサンゼルに転勤されていますね。会社の異動で行かれたのですか?
南雲
勤めて3年は本当に一生懸命仕事をしました。日本の企業だったのですが、日本の社会や会社のルールを受け入れながら出来ることを頑張っていた。そうしていくうち自分自身が典型的な日本の固定概念に縛られた考え方をするようになっていたのです。何か違う、このままじゃいけない。そう感じ始めていました。そんな時、親会社の会長さんと仲良くさせていただくようになり、いろいろな話をするようになりました。その中で、何か違うという、くすぶっていた思いが溢れ出たような感じで、「僕がアメリカオフィスを作ります。アメリカへ行かせてください!」と言ってしまったのです。
かきの木
いきなり会長さんに言ってしまったのですね!そのとき、会長さんは何とおっしゃったのでしょう?
南雲
その方は既にいくつも会社を経営されていて、自分で何かやるというよりも、これと思った相手や事業に出資をされてきた方です。それだけに、人間の表も裏もいろいろ見て知っていらっしゃいます。
そういう方に「君は信頼できる」と、さらに「困ったことがあったら、いつでも力になる」と言ってもらえたことはとてもうれしかったです。と同時に、うまいこと言うなあと(笑)。もうやるしかないと、その方に逆にやる気を起こさせられました。
かきの木
なるほど。南雲さんのそれまでの働きや熱意があったからこそ背中を押してくださったんですね。アメリカへは1人で行かれたんですか?
南雲
はい。1人で行きました。まずオフィスを借りて法人登録をし、社員を採用して…と、全て自分でやりました。
今振り返ると、20代の日本人が外国でよくやったなあと思います。きっと、自分が一番やりたかったことだったのでしょう。だから苦労とか大変という思いはなく、迷いすらもありませんでした。とてもおもしろかったのです。
このとき、現状打破するため、ブレイクスルーするためにアメリカに行ったのが、僕の2つ目のターニングポイントになったと思います。

海外で働きたい人に舞台を用意したい。ACO設立へ

海外で働きたい人に舞台を用意したい。ACO設立へ

かきの木
2年後、ロサンゼルスで会社を辞め、そのままそこでACO設立して独立されています。そのきっかけは何かあったのでしょうか?
南雲
会社員として最初にロサンゼルスに降り立った瞬間に、自分はここで独立するな、という予感はありました。
会長さんはそれも理解してくださっていて、会社を辞めて独立したいと言った時もすぐに了解してくださいました。そればかりか、資金の面などでもすごく助けていただいたのです。日本で法人を立てるときにも全部やってくださるなど、本当にその方がいなければ出来なかったと思います。
かきの木
やめた後はまた1人でロサンゼルスオフィスを運営はじめられたんですね?
南雲
実は、独立する時に自分が会社をやると言ったら、前の会社の同僚が2人来てくれました。また、会社とは関係ない現地の知り合いからも、「じゃあ私も手伝わせてください」と言ってくれる人が現れたり。仲間にもすごく助けられましたね。
かきの木
すでに南雲さんの周りに同じ思いを持った仲間が集まっていたということですね。ロサンゼルスで独立した2年後に、今度はハワイのホノルルにもオフィスを作っていらっしゃいます。めざましい発展ですが、こちらのきっかけは?
南雲
ハワイオフィスの設立も偶然といえば偶然で…(笑)
アメリカというのは横のつながりが強く、一生懸命やっていると必ず誰かが見ていて声をかけてくれるところです。僕も、ロサンゼルスで仲間と懸命に仕事をしていたら、「ハワイでもビジネスをやらない?」という声をかけてくれる人が現れまして。そういう"人の縁"もあって、ロス、ハワイ、最後に日本でオフィスを開くことができました。
これから海外を目指す方達のために自分が何か舞台を用意できれば。そういう思いからこのACOを始めたのです
僕は、「働く」というのは、自分がブレイクスルーするための1つのツールだと思っています。自分が働くことを通してブレイクスルーできたのだから、他の人もきっといろいろな経験ができるだろうと思いました。その人達のために自分が何か舞台を用意できれば。そういう思いからこのACOを始めたのです

自分がやりたいこと、幸せを見つける機会を提供したい

かきの木
ACO設立までに3度、海外生活を経験され、そのうちの2回が人生のターニングポイントとなった南雲さんですが、その体験がACOでの活動にもつながっているのでしょうか?
南雲
その通りです。
ACOのお客様には女性の方も多いのですが、ほとんどの方がおっしゃるのが「30歳なのですが、まだ行けますか?」ということ。または、「これってキャリアにつながるでしょうか?」と聞かれるお客様も多いです。
でも、年齢やキャリアというのは、日本の世の中が作り上げた固定概念の1つだと思うのです。そういったものに縛られている方が、当然ですが、たくさんいらっしゃいます。
ところが、アメリカは笑っちゃうくらい自由。そもそも履歴書に年齢を書かないくらいですから。
国籍もアジアやヒスパニックなど多彩で、人種も関係ありませんし、当然、宗教もさまざま。同じ固定概念があるはずがないのです。
固定概念がゼロになった状態で、本当に自分が一番やりたいこと、自分の幸せというものを見つける機会が、海外ならあるかもしれない。それを知ってほしいのです。
かきの木
つまり、海外が、お客様それぞれが自分のターニングポイントを見つける機会になるかもしれない、ということですね。
南雲
はい。ACOはお客様にターニングポイントを提供できる立ち位置でいたいと、僕は思っています。
ターニングポイントを得るきっかけを作るには、いろいろな方法があると思うのです。女性なら、髪を切ってそうなることもあるかもしれません。いろいろある中で、ぼくが経験してきたのは海外に行くこと。自分が海外での体験を通してブレイクスルーできたのだから、他の人もきっといろいろな経験ができるだろうと思いました。その人達のために自分が何か舞台を用意できれば。そういう思いからこのACOを始めたのです
海外で多くのことを発見してほしい。それがどういう形であれ、その方の大きな糧になっていくことは間違いありませんから。
かきの木
海外に行ってみたいけれど不安だったり、迷っている方も少なくないと思います。でも、結果ばかり気にしていないで、まずは動き出してみようと。
南雲
はい。よく「アメリカの求人が一番多い時期はいつですか」と聞かれるのですが、そういうとき、僕はいつも「そんなものはありません。自分が行ける時がベストタイミングです」とお答えしています。
採用を決めるのは会社かもしれないけれど、行くと決めるのは自分。けっきょく自分が主体となって、自分で行動することです。
行きたいという気持ちこそがいちばん大切! 迷っている方も、できるかぎり応援しますから、まずは相談に来てみていただきたいですね。

自分がやりたいこと、幸せを見つける機会を提供したい

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